天下のご意見番・名場面・名科白・市川右太衛門・月形龍之介 昭和37年

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<p>天下のご意見番・名場面・名科白・市川右太衛門・ <br />月形龍之介 昭和37年<br /> <br /></p>物語・沢島 忠「一心太助・中村錦之助・月形龍之介」で、お仲「中原ひとみ」に太助を奪われてしまった<br />丘さとみさん。「アァ…私、大久保のお殿様に恋をしょうかな」なって、科白があります。<br />その科白を実現してしまったのが「天下のご意見番」であります。<br />脚本は小國英雄さん。 将軍「北大路欣也・徳川家光」に意見することを「片岡千恵蔵松平伊豆守」に、<br />嗜められた彦左衛門は寂しく大廊下を下がります。 Oh この姿は、退職者、老人問題。 <br />しかし、彦左衛門は慇懃無礼な外様大名に対して大筒を放ちます。 <br />「北大路欣也・徳川家光」は、彦左に切腹を命ずるのでありますが、御大「市川右太衛門・水戸頼房」が、<br />「お上の後採決に、頼房何持って、不詳なり。 <br />さりながら、彦左二千石の微禄をもっとのお言葉に、ふっと思い出した事がござりまする…..」。<br />ハイ、ここは、御大・市川右太衛門の独占場であります。 市川御大は「水戸黄門・昭和35年」でも、将軍に意見する「水戸中将綱條:大川橋蔵・科白・徳川と禁裏の余りなる隔たりが、天下騒乱となるは…」を <br />「紀伊大納言光貞:市川右太衛門」扮して助けています。 <br />科白・「ご切腹のことはお止め申す。これより直ちに水戸に駆け戻り、常盤一国あげての籠城をお勧め申す。然るときは、この光貞も南北康応しての 籠城をつかまつる…。」 <br />ときは流れて十数年。東京の撮影所。当時、流し目で人気のあった、00さまが、 <br />同シーン・同科白で撮影に挑みますが、ついに、叶わず。 このシーンは割愛。現在ならばOkにしてしまいますが「間違いなく」当時は、 まだ、サーボ機能が働いていたのであります。 <br />本日現在、この御大・市川右太衛門の武家科白を超えられるのは、 <br />中村吉右衛門さんぐらいだろう。しかし、芝居は一人ではできません。 <br />襖絵などの美術を含めて、遠い世界になってしまいましたね。

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