東日本大震災はアメリカによる人工地震説 その1
東日本大震災はアメリカによる人工地震説 その1 <br /><br />東南海地震、三河地震――第二次大戦末期、すでに「地震・津波兵器」は、日本の軍需工場地帯を襲っていた <br /><br /> この機密計画書の最後には「地震・津波攻撃の目的は日本人をパニックに陥れることで、神国日本や軍部独裁に対する不信感を醸成することにある。日本人が国家を捨て、個人の生存を第一に考えるようにするためのショック療法ともいえる」と記され、その会議以降、その年の内に地震兵器はそれが強大な兵器による人工的な日本への攻撃であることを知られずに、あたかも自然災害でもあるかのようなふりをして終戦直前ついに実用化された模様です。 <br /> その実用が1944年12月7日です。志摩半島南南東沖約20Kmを震源として発生したM7・9の「東南海地震」。愛知、三重、静岡などで1223人の死者・行方不明者が出ています。 <br /> 米国の新聞は、「観測史上最大規模の大地震」、「大阪から名古屋にわたる軍需工業地帯に大損害」と誇らしげに戦果を報じています。このときの津波は15mにも達し、志摩半島南岸などで村々を壊滅させたといいます。当時、米国が攻撃目標としていた、三菱重工、安立電気、中島飛行機などの工場乱立地帯がピンポイント的に壊滅的打撃を受けました。大地震が起こったのがちょうど軍需工業地帯だとは、いかにも出来すぎた話でおかしいと当時から度々うわさされていました。さらにこの地震に追い打ちをかけたのが、B29爆撃機編隊による名古屋空襲でした。終戦の年、1945年(昭利20年)の1月13日にも愛知県で直下型の「三河地震」が発生しました。M6・8、死者2306人に達する大地震です。