チーチー☆ビアンカ - 失多失多い(utautai)〜傷だらけのシンガー
「失多失多い(utautai)」 <br />【音楽】作詞作曲/演奏/歌:チーチー☆ビアンカ <br />【映像】撮影・編集:チーチー☆ビアンカ <br />【制作時期】2017年11月〜12月 <br />【ロケーション】東京都稲城市(丘・果樹園・グラウンド)、調布市(神代植物公園)、町田市(尾根緑道)、神奈川県横浜市(南太田駅踏切)、横須賀市(向坂隧道)、川崎市(生田緑地)、千葉県袖ヶ浦市(東京ドイツ村)、銚子市(屏風ヶ浦・銚子ドーバーライン) <br /> <br />【作者より】 <br /> 2016年 過労のため心身を壊す <br /> 2017年 過労のため心身を壊す <br /> もう二度と戻らないと決めたはずの地獄が、再現テープでも見るように、私はなにも変わっちゃいなかった。遠い知り合いの声掛けで入った六本木のCM制作会社。来る日も来る日も資料作成。口で伝えて納得してもらえれば、もともと作る必要もない。口を開いて責任を取る人がいないのだ。資料作って口裏合わせして、責任を押し付け合って、制作の現場などまるで知らないお客さんの思い付きの一言で、阿呆のように翻弄される。自分で決めず自分で創らない、その方が楽だと考える人たちがその会社で、その業界で、この国で働いていた。それで生きていて、なにが楽しいの?私はつらくて、つまらなくて、ついていけなかった。 <br /> せっかく会社に入ったのに、フリーランスの制作ばかりのチームにぶち込まれ、仕事の相談ができる同期や立場の近い人がいなかった。なぜか?社員が立て続けに辞めているからだ。直属の上司であるプロデューサーは社員の管理ができなかった。今はいくらでも若手の人材がいた時代とは違う。過労の問題がこれだけ取り沙汰される中で、いつまでもうちはこういう業界だからという言い逃れをして胡座をかいていられると思うな。教える力もないのに学ばせてやっていると開き直り、労働の価値を貶めている企業に若者は定着しないし、国外から呼び寄せようとしてもダメだ。条件の良い職場の第一条件というのは安心して働ける環境だと思う。だが、労働者を大切にできないこの国で安心して働ける先があるのだろうか。 <br /> 「あなた働きすぎだよ。どうして先月は一日も休めなかったの?」 <br /> 社長に聞かれて絶句した。私の契約条件だと代休をその月に取らなければ消滅してしまうこと、それを翌月初めて聞いた。入社時に説明を受けた記憶はない。教えてくれたデスクの女性が「ごめんね」と言ったが、筋違いの詫びを入れられて気持ちが悪い。腹が立って仕方がなかった。この残っているエネルギーをこれ以上会社にくれてやるわけにはいかないと思った。満員の通勤電車、一本見送る。「風邪でも絶対に休めないあなたへ」というCMのコピー。そんな人はいない。誰にだって替えがいる。でも私には私の替えがいない。 <br /> 前回、初めて地獄の過労サイクルに入ったときは周囲に助けを求められなかった私も、今回は友人に相談をすることができた。大きな進歩だ。ところが、そんな会社辞めた方がいいと言う友人の意見に自分でもそう思うと頷きながら、心ではそんなこと出来るわけがないと思っていた。撮影までは、納品までは、と自分の中で期限を付けてなかなか辞められなかった。私は怖くて仕方なかったが、その恐怖は得体が知れなかった。前と同じだ。その正体が未だに暴かれていないのは私が対峙することから逃げてきたから。ここでまた逃げたら、私の人生は一生この繰り返しだ。やっと、気付いた。 <br /> まず、自分のことを大切にできない自分に気付いてしまうことが、私の恐怖の一つだった。自己肯定力が低いなんて、可能性も含め今までまったく考えたことがなかった。しかし、それが本当の自分だった。不幸だと思いながら、死ぬほど働くことは自傷行為であり、自己否定の表れだった。この気付きは大きな悲しみだった。自分を大切にできない自分を許せず、自分を許せない自分も許せない。たぶん、この状況はずっと続いていたことで、私の説明できない生き辛さの一要因だったと思う。 <br /> 自分で決めるということ、これも恐怖の正体だった。世の中にはいろいろなボタンがあるが、押すという行動を取った後の世界の変化は同じスピードだ。原爆投下のボタンでもテレビのリモコンのボタンでも。一方で、押すという決断をするまでの時間はそれぞれ違う。即決できなかったり、決断を先送りしようとしたり。決め手はお金か、人目か。肝心なことが抜けていた。最初も最後も、自分のため、そうだよ。 <br /> これを書きながら、私は失業中だし、この先どう働いていけばいいのかさっぱりわからない。ただ、今回の一件は自分を変え、幸せに生きていくための試練だったのだと思い、決断と実行が遅すぎずできたことを喜んでいる。そんな心境からこのビデオは自分への宣言となっている。前回の試練が訪れずに私は今歌っていないし、歌がなければ、今回の試練を乗り越えることはできなかったと思う。一体、どんな人がこのビデオを見てしかもこの長たらしい文章を読んでくれるかは分からないけれども、もしその目に触れる機会があったなら、ご自身の幸せについて考える小さなきっかけとなればと思う。 <br /> <br /> チーチー☆ビアンカ 2017.12.08