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ALBUM かぐや姫 LIVE

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京都・大阪公演収録の1974年9月15日にリリースされた第2期かぐや姫の2枚目ライブ・アルバム及び、5枚目のアルバムです。 <br />01.うちのお父さん 作詞・作曲 南こうせつ こうせつの実父である南大道をモチーフにした作品で、作詞・作曲だけでなく、編曲もこうせつ自身が手掛けています。こうせつ:「僕の父上は坊主で、名前も南大道って非常にいかめしい。だから、たまには赤いシャツ着て蝶ネクタイをしめてみたら良いんじゃないかと思って作ってみた。好きな一節は『春になれば 下がり梅の花が咲きます お父さん』で、桜より梅の花が好きな親父は、境内を梅だらけにしました。毎年梅を見ると親父のことを思い出します。」。パンダ:「『うちのお父さん』の演奏が終わり、正やんがぽつり 「この ♪パッパー パッパー♪ のコーラスを『パパ』の事だとみんな気付いてるのかなあ」と・・実は私、気付いていませんでした。 「えっ!パンダさん、知らなかったのかあ」って 言われてしまったけれど、皆さんはいかがでしょう?」。 <br />02.僕の胸でおやすみ 作詞・作曲 山田つぐと パンダさんの作詞作曲で、かぐや姫の4枚目シングルになります。パンダ;「『君の笑顔の向こうにある哀しみは』っていうフレーズ、あれが僕自身のような気がする。一番苦労した時期の頂点で作ったから、僕自身が出てしまっていると思うんですよ。ほんとに人を愛する時は、笑い顔の向こうにある悲しみがわからなければならないなと、今になって強く思うんですよ。この曲を聞かせた時、こうせつに「ハイ、私が歌います」と言われてアレ?と思ったけど半分嬉しかった。」。 <br />03.ペテン師 作詞 喜多条忠/作曲 伊勢正三 喜多条忠と伊勢正三が初めて組んだ作品で、男心の狡さを正直に軽快なメロディに載せた曲です。 <br />04.加茂の流れに 作詞・作曲 南こうせつ <br />原題は「なみだの京都」と云い、南こうせつの実体験より生まれます。高節青年が大学一年の頃、旅行で京都を訪れた際、ボウリング場の隣のレーンでゲームを­していた女性のナンパに成功します。そして、翌日京都タワーで会う約束をし、先輩のコートを借りその待ち合わせ場所へ行き­ますが、いくら待っても彼女は来ません。 <br />この切ない哀しい経験が、かぐや姫を代表する名曲へと昇華されることとなります。 <br />05.君がよければ 作詞・作曲 山田つぐと かぐや姫単独で演奏するには難度の高い曲で、2番と3番の間で転調します。 <br />06.カリブの花 作詞 山田つぐと/作曲 南こうせつ <br />つま恋のこうせつソロステージで演奏された曲で、素朴な歌詞と軽快なメロディが特徴です。 <br />07.22才の別れ 作詞・作曲 伊勢正三 1974年リリースのアルバム『三階建の詩』のために書いた2曲のうちの1曲(もう1曲は「なごり雪」)で、シングルカットの要望があるなど当初から評価は高い曲でしたが、リアルタイムでは前アルバムと『かぐや姫LIVE』に収録されるまでにとどまります。正やん:「『なごり雪』のレコーディングの翌日に『22才の別れ』を書いた­んだよ。『22才の別れ』が『神田川』から来たのは自分でわかる。でも『なごり雪』は­、どこから来たかわからない。それに反して、『22才の別れ』は計算して作った。実は­、この2曲は同じアルバムに入っている。1974年に発表された『三階建ての詩(うた­)』というアルバムだ。このアルバムには2曲書いた。最初に『なごり雪』を、その次に­もう1曲別の作品をレコーディングした。だけど、なんだか気に入らなかった。「これは­売れないなぁ」と直感してしまった。だから、1日待ってもらうことにした。その日、家­に帰って、絶対売れる歌を作ってやろうと思った。そうして、徹夜で作ったのが『22才­の別れ』だ。だから、『なごり雪』は自分の好きな世界が自然に沸き上がってできた作品­、『22才の別れ』はヒットを意識して作った作品だ。」。 <br />08.妹 作詞 喜多条忠/作曲 南こうせつ/海 作詞 水谷みゆき/作曲 神山純 “四畳半三部作”の最後を飾った、かぐや姫7枚目のシングルでありラストシングルで、「赤ちょうちん」に続くこの作品も、秋吉久美子主演の映画とタイアップします。2002年11月22日、小室哲哉とKEIKO(globe)の結婚披露宴がテレビ放映され、KEIKOのリクエストでこうせつが「妹」を歌います。 <br /><海> 正やん:「この曲のオリジナルは「ながいじゅん」で、アマチュアの頃によく歌っていたんです。僕らが坊主頭だった高校の終わり頃ですね。」。また、つま恋2006など、最近のステージでは「好きだった人」に挿入されるスタイルで演奏されます。 <br />09.星降る夜 作詞・作曲 南こうせつ この曲はこのライヴアルバムのみの収録で、2000年の再結成コンサート以降のステージでは、この曲の「ここで見ていて~」と「あげる」の間で、メンバー全員で指をパチンと鳴しています。 <br />10.置手紙 作詞・作曲 伊勢正三 出だしのトレモロ奏法が印象的で、独特のコード進行も当時では珍く、スリーフィンガーによるギターの演奏もこの進行により魅力的に聴こえてきます。また、カッティングが冴える曲でもあり、このカッティングに憧れてギターを始めた方も少なくは無いでしょう。この頃の叙情派フォークと呼ばれる曲は一つのストーリーが出来上がっていることが多く、『なごり雪』や『22才の別れ』、後の『あの唄はもう唄わないのですか』なども同様です。その中でもこの曲は異色と云っても過言ではなくそれだけ歌詞や曲の流れが重要になる一曲です。 <br />11.眼をとじて 作詞・作曲 山田つぐと この曲は解散後の山田パンダのアルバム『忘れかけた季節』に、セルフカバーを収録され、パンダフルハウスのステージでも、吉野恵子のボーカルで演奏されます。 <br />12.あの人の手紙 作詞 伊勢正三/作曲 南こうせつ 歌詞は、第一期かぐや姫の作品「あわれジャクソン」にインスパイアされた正やんが、ベトナム戦争をテーマに書きます。しかし、こうせつが書いた「あわれジャクソン」はキング牧師を題材にしていたと云います。つま恋では、この曲の演奏中興奮状態のこうせつはギターを投げてしまいます。同じくつま恋で、こうせつはこの曲の最後のフレーズ「手紙が」を絶叫しますがそれを坂崎幸之助はいつもモノマネをするようになります。こうせつが『LOVE LOVE あいしてる』に出演した際、吉田拓郎からあの絶叫をやれと言われますが、こうせつはムッとして「やだよ」と拒否。 <br />13.神田川 作詞 喜多条忠/作曲 南こうせつ こうせつ:「喜多条さんから詞をもらって読んだ瞬間これは素晴らしい詞だと思いました。読み終わって一秒とたたないうちにメロディがモノクロームの情景とともに浮かんできた。ぼくも昔はアパート住まいをしていたから銭湯にもよく通っていた。だから“洗い髪が芯まで冷えて小さな石鹸カタカタ鳴った”などというイメージは教えられなくても脳裏に浮かびあがってきました。こんな世界こそぼくの書きたかった詞だし、ぼくのうたいたかった歌だったんです。」。この曲を深夜放送で流したところリクエが殺到し、シングルカットに踏み切り大ヒットし、かぐや姫が大ブレイクするきっかけになった作品です。

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