256號
先の我がポツダム宣言受諾の通告により、連合軍は逐次東京湾周辺地域に進駐することになりましたが、8月28日、アメリカ軍先遣部隊150名が、輸送機により沖縄基地から神奈川県厚木飛行場に到着しました。 <br />先遣部隊はテンチ大佐指揮の下に、ここに日本本土への第一歩を印したわけですが、進駐は円満に行われました。 <br /> 明けて29日より、アメリカ軍は大型四発輸送機をもって進駐を継続。アメリカ軍の行動は、時間的にきわめて正確であるばかりでなく、ただちにジープ、つまり小型軍用車を飛行機より降ろして、活発に行動。その能率的一面を示しました。 <br /> <br />連合軍最高司令官マッカーサー元帥は、8月30日、輸送機バターン号により飛行場に到着。出迎えのアメリカ第8軍司令官、バーカー中将と握手を交わす。マッカーサー元帥はただちに声明を発表。日本の誠意により、摩擦も流血もなく、戦争終結は円満に成就するであろうと述べました。 <br /> <br /> これより先27日、連合軍の艦船による進駐部隊は、相模湾逗子沖に停泊。 <br />1万3000のアメリカ海兵隊は30日、百数十隻の上陸用舟艇をもって、横須賀地区に上陸を開始しました。 <br /> <br />戸塚横鎮長官とアメリカ軍指揮官バッジャー少将との間に、同地区進駐の事務手続きが行われました。 <br /> <br />アメリカ軍は、引き続き横浜地区にも進駐しました。 <br /> <br />ポツダム宣言受諾降伏調印は、9月2日、東京湾上アメリカ戦闘艦ミズリー号甲板において行われました。連合軍最高司令官マッカーサー元帥をはじめ、各国代表入場の後、我が全権委員重光外務大臣、梅津参謀総長並びに随員が入場。 <br />午前9時4分、我が全権は、それぞれ降伏文書に調印を行いました。 <br />続いて連合国各代表の署名を終わりました。 <br /> <br />第88臨時議会第2日の9月5日、東久邇総理大臣宮殿下には、施政方針を御演説あそばされました。 <br /> <br /><東久邇総理大臣: <br />先に畏(かしこ)くも大詔を拝し、帝国は米英ソ支四国の共同宣言を受諾し、大東亜戦争は茲(ここ)に非常の措置を以(もっ)て其の局を結ぶこととなりました。連合国軍は既に我が本土に進駐して居ります。事態は有史以来のことであります。三千年の歴史に於(おい)て、最も重大局面と申さねばなりません。 <br />今日に於て尚、現実の前に眼を覆い、当面を糊塗(こと)して自ら慰めんとすること、又(また)激情に駆られて事端を滋くするが如きことは、到底国運の恢弘(かいこう)を期する所以(ゆえん)ではありません。一言一行悉(ことごと)く、天皇に絶対帰一し奉り、苟(いやし)くも過たざることこそ、臣子の本分であります。我々臣民は大詔の御誡(いまし)めを畏み、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、今日の敗戦の事実を甘受し、断乎(だんこ)たる大国民の矜持(きょうじ)を以て、潔く自ら誓約せる ポツダム宣言を誠実に履行し、誓って信義を世界に示さんとするものであります。 <br />今や歴史の転機に当り、国歩艱難(かんなん)各方面に亙(わた)る戦後の再建は極めて多難なるものがあります。戦いは終りました。併(しか)しながら我々の前途は益々(ますます)多難であります。詔書にも拝しまする如く、今後帝国の受くべき苦難は蓋(けだ)し尋常一様のものではありません。 <br />固より政府と致しましては衣食住、各方面に亙り、戦後に於ける国民生活の安定に特に意を注ぎ、凡(あら)ゆる部面に於いて急速に萬全の施策を講じて参る考えであります。併し戦争の終結に依(よ)って直ちに過去の安易なる生活への復帰を夢見るが如き者ありと致しますならば、思はざるも甚だしきもので、将来の建設の如きは到底期し得ないのであります。 <br /> 我々の前途は遠く且(か)つ苦難に満ちて居ります。併しながら 御詔書にも御諭しを拝する如く、我々国民は固く神州不滅を信じ、如何(いか)なる事態に於きましても、飽(あ)くまでも帝国の前途に希望を失うことなく、何処(どこ)までも努力を盡(つく)さねばならぬのであります。>