コント【コントレオナルド】(2)|残しておきたい昭和の演芸

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レオナルド熊・石倉三郎
「コントレオナルド」の漫才をお楽しみください。

#残しておきたい昭和の演芸 #コント #コントレオナルド

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残しておきたい昭和の演芸をたくさん投稿していきますのでチェックしてね
https://www.youtube.com/@Showa-OWarai

コントレオナルド
1. https://youtu.be/0OearNY7fIc
2. https://youtu.be/KL8NMw_yeeI

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1979年に当時「熊田にげろう」名で活動していたレオナルド熊は、元弟子であるゆーとぴあ・ホープの紹介で石倉三郎と「ラッキーパンチ」を結成し、初めて世に出た。しかしレオナルド熊は元々、持病である結核の為に体調不良気味であり、休養する事が多くそれが要因で仕事も減り、収入も安定しない日々が続いてしまう。その為1年弱でコンビを解散する形となる。石倉三郎は一旦芸能界を引退し、その後はマザー牧場で働いていた。
一方レオナルド熊は、解散直後に弟子である後のブッチー武者と「熊田うつぞう・にげろう」を組み、間もなく「コント・レオナルド」に改称したが、命名者であるポール牧に許可もなく無断で改名した為に破門されてしまった。
芸名を新たに活動を始めたが、元弟子とのコンビ仲は良くなかった。レオナルド熊の執拗ないじめを受けたのが元で武者がノイローゼに掛かる深刻な症状となり、さらに『花王名人劇場』出演直前にコント中の舞台で転倒する不運も重なった。この転倒により足を骨折する負傷で休演せざるを得なくなった為、ホープと澤田隆治が取り成して芸能界を引退した後、マザー牧場で勤務していた石倉三郎を説得。再び呼び戻して1981年、二代目「コント・レオナルド」(レオナルド熊・石倉三郎)として再結成させた。
鋭い社会風刺で、お笑いブームの一角を占めて安定した人気を得ていたが、コンビ仲は「ラッキーパンチ」の頃と同様に良くなかった。レオナルド熊にとって『コント・レオナルド』は、自ら作・演出をしており「自分の名を冠した自身の持ち物」という強い意識を常に持ち続けており、自分で『コント・レオナルド』の知名度を上げたんだ、というプライドがあった。しかしその姿勢に対して我慢が出来ず石倉三郎が愛想を尽かし、レオナルド熊も石倉三郎の酒癖の悪さを批判するなど人気絶頂期であったが、1985年10月に喧嘩別れする形で再び解散してしまう。二代目のコント・レオナルドとしての活動期間は4年間であった。
コント・レオナルドを解散後、レオナルド熊は劇団で俳優・主宰として活躍する一方、妻と共に副業も行っていた。石倉は俳優として現在も活躍している。
石倉とレオナルド熊はその後絶縁しており、1994年12月にレオナルド熊が死去した葬式までの9年間以上、一切顔を合わせなかった
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