20131120 傷痍軍人会解散 元日本兵の思い(福岡)
終戦から68年あまり、戦場で負傷するなどした元日本兵で作る「福岡県傷痍軍人会」が、先日、解散式を開きました。 <br /> <br />会長を務めてきた92歳の元日本兵は、今も全身に傷痕が残り、「戦争を繰り返してはならない」と静かに訴えています。 <br /> <br />今月13日、『福岡県傷痍軍人会』の会員たちが護国神社を参拝しました。 <br /> <br />ともに戦って戦死し、いまは『英霊』として護国神社に祀られている戦友に『傷痍軍人会』の解散を報告するためです。 <br /> <br />●福岡県傷痍軍人会・倉掛重喜会長 <br />「そりゃ寂しいですよ」 <br /> <br />現在、92歳の倉掛重喜さん。 <br /> <br />福岡県傷痍軍人会の最後の会長です。 <br /> <br />●倉掛さん <br />Qこれはほくろじゃないんですか?この黒いのは…。 <br />「これが弾ですよ。これが手榴弾の破片ですたい。こういうのがまだ10ぐらい入っとるとですよ」 <br /> <br />顔、胸、腕、それに足。 <br /> <br />倉掛さんの体には、いたるところに激しい戦いの痕が残っています。 <br /> <br />倉掛さんは20歳となった1941年の夏に徴兵検査に合格。 <br /> <br /> <br />日中戦争が5年目に入り、まもなく太平洋戦争が始まろうとする頃でした。 <br /> <br />派遣されたのは中国南部の広東省。 <br /> <br />到着してから1か月ほどして上官からの命令で向かった場所には、杭にくくりつけられた中国兵の捕虜の姿がありました。 <br /> <br />●倉掛さん <br />「20メートルから30メートルぐらい離れたところから、鉄剣って言って、『突撃に突っ込めっ』て言うてから突かないとならんのですたい。初めてですから、やっぱり足のもつれてから転んだり、もうそういう人が多いとですたい。そうすると、『貴様それぐらいのことで戦争ができるか』っていってから教官やらから気合いを入れられた」 <br /> <br />終戦の1年ほど前、敵の陣地を襲撃する作戦では撤退する途中に敵に囲まれました。 <br /> <br />無我夢中で敵兵に突撃したという倉掛さん、その際、すぐ近くで手榴弾が炸裂しました。 <br /> <br />●倉掛さん <br />「破裂した音だけは聞こえたばってん、ここをやられたのも同じ時期だったから、全然もうやられたなという気はないんですよ。気が立ってしまっているからですね。痛いとかなんとか全然感じない」 <br /> <br />どうにか味方の陣地にたどりつき一命を取り留めたものの、同じ部隊の45人のうち43人が戦死しました。 <br /> <br />終戦を迎え、倉掛さんは、地元の筑前町でコメ作りを再開します。 <br /> <br />しかし、戦場でのけがの影響で手に力が入らず農作業でも苦労の連続だったといいます。 <br /> <br />●倉掛さんノイズ <br />Q.今も手は曲がらないんですか? <br />「これはこれくらい。力が全然入らない。握力がないですよ。5~6年は苦労しました。あの頃の百姓はみんな手作業だった。で、麦刈りができん、稲刈りができん。鎌が使えないから作業ができんかった」 <br /> <br />倉掛さんが会長を務めてきた福岡県傷痍軍人会。 <br /> <br />戦地で負傷したり病気にかかったりした元日本兵への生活支援などを求め活動してきました。 <br /> <br />多いときには3000人以上の会員がいましたが、いまではわずか120人ほど、平均年齢も90歳を超え活動が難しくなったため解散を決めました。 <br /> <br />●会員 <br />「よりどころがない。しかし、消えていくのは仕方ない」 <br /> <br />終戦から68年、このところ、中国や韓国との関係が悪化し、緊張が高まっています。 <br /> <br />戦場で、死と隣り合わせの体験をしてきた倉掛さんは人間性を破壊し、尊厳を踏みにじる戦争のおろかさを静かに訴えます。 <br /> <br />●倉掛さん <br />「いまからの戦争っていうのは、我々の想像がつかないような戦争じゃないですかね。もう全然敵の顔も見ないで、我々のときまでは相対してやっと決着がつくようだったけど…。戦争だけはこれは、してから何にも利益がないんですよ。本当」 <br /> <br />●後受け <br />銃弾が飛び交い、いつ死ぬかわからない戦場を体験した倉掛さんの言葉は戦争の実態やそのおろかさをはっきりと示しています。 <br /> <br />戦争を体験した人たちが高齢化する中、その人たちの声や思いを次の世代にどのように伝えていくかが課題となっています。